心と思考 〜 四十にして惑わず 喜びをもって生きる 〜

中年サラリーマン技術者の心の学びの記録

【Vol.7】正しさよりも愛を

 

Vol.5,6の記事では、

まず何より自己受容、

自己受容により自然と他者受容ができてきて好循環が生まれる。

ということを書きました。

 

今回の記事では、自己受容・他者受容についてもう少し深掘りしていきたいと思います。

 

自己受容も他者受容も、ポイントは、『愛』です。

 

愛というワードを口にするのは少し気恥ずかしいですが、愛無しでは語れないので、敢えて強調していきます。

 

『愛』です。

 

で、愛とは何か。

 

チミ、愛の定義について簡潔に述べてみたまえ。

と言われて、答えられますでしょうか。

私は答えられませんでした。

 

愛については、

キリスト教アガペー(見返りを求めない無償の愛)の他、色々な宗教にまつわるそれぞれの愛の概念や解釈があり、

愛とは何かということについて哲学的、学問的な議論もされています。

一言で定義するのは難しい(これといった一つの正解はない)のですが、私の受講している心のセミナーでは、『関心を向けること』と言っていました。

 

愛は与えること、ともよく言われますが、人に対してその人が望む何かを与えるためには、その人に関心がないとできないので、そういう意味でもしっくりくるところがあります。

自分自身に対しても同じですね。

私自身、愛の定義について明確な持論を持っているわけではないので、この記事では『関心を向けること』を前提として書いていきます。

 

 

さて、自分や他者を受容するためには愛、すなわち関心を向けることがポイントというわけですが、それはなぜか。

 

例として自分の子供のことで考えてみます。

 

子供が全然部屋を片付けない、脱いだ服は床に散乱。宿題も全然やらずに夜になってから、終わらない、とピィピィ言い出す。

これに対してイライラして反射的に頭ごなしに叱ってしまうのが、自己・他者受容のできていない人の反応だと思います。(少なくとも私はそうでした。前よりマシですが今でも多少そういった反応をしてしまいます。)

この反応は一見、子供のためを思っての躾、愛の叱りとも取れそうですが、深掘りしていくと少し違った世界が見えてきます

 

まず一つ目に、

なぜイライラしてしまうのか。

それは、子供に対して『こうでなくてはならぬ、こうあってほしい』という自分自身の理想を押し付け、それが思い通りにいかないことが許せずにイライラしているものと考えられます。

子供の為だという大義名分を後付けで振りかざしているだけで、実は子供の気持ちや都合を無視して、自分のエゴで感情をぶつけてしまっており、本当に子供に関心(=愛)を持って接しているのではない、という危うさが見えてきます。

 

そして、二つ目に、

『子供が思い通りにならないことが許せない!』という感情は、どこから沸き起こるのか。

自分自身に目を向け、関心を持ち、深く見ていくと、何と無くその感情がどこから来たのかが見えてきます。

これは自分が過去に傷ついてきたこと(自分も同じ様に否定されながら厳しく躾けられてきた等)などに由来しているケースが殆どです。

自分が押し付けられてきたその傷が、無意識的に反応してしまっているということです。

怒りの下に悲しみがあるんですね。

 

 

今、どういう感情が湧いているのか、どこからその感情が湧いてくるのか、自分自身の感情を味わい、その感情を分解し、洞察することを繰り返していくと、少しずつ感情がコントロール(無理に抑えつけるのでなく)できるようになってきます

 

負の感情が湧いて、人にぶつけてしまう自分がダメなのではなく、一度その原因を理解して受け入れ、前に進むということだと思います。

 

これは、

自分に関心(=愛)を向けることで、自分の傷を見つけ、負の感情が沸き起こってしまう性格を受容することができる。

と言えるでしょう。

 

究極的にはその傷を清算することで、その感情自体が現れにくくなります。

(私は正直まだ完全にその境地まで辿り着いていませんが、妻を含め経験者は語っています。)

 

 

また、子供に対しても、なぜ何度言ってもできないのか、もっと関心を持ってみると、子供なりの都合や気持ち、得意不得意などの性質など、色々なことが見えてきます。

(そもそも自分がそうだったように、小学生の子供が、色々な刺激がある環境で、宿題に片付けに、スマートにマルチタスクをこなせるはずもないのですが・・・)

そうなれば、反射的に頭ごなしに叱る前に、一度冷静に受け入れた上で、穏やかに諭せるようにもなります。

 

このように、自分にも子供(他人)にも関心を持ち、『洞察』を深めることで、受容できる器が大きくなります

自分の理想、正義を振りかざす前に、『愛』を向けることが重要ということです。

 

『正しさよりも愛を』

 

これはセミナーの先生からの言葉ですが(あとで調べてみると、キリストの教えでもあるようです)、個人的に非常に胸に刺さっていて、正論や自分の思う正しさを振りかざして自分や他人を傷つけないように、常に思い出すようにしています。