心と思考 〜 四十にして惑わず 喜びをもって生きる 〜

中年サラリーマン技術者の心の学びの記録

【読書録】具体と抽象  世界が変わって見える知性のしくみ 細谷功

 

 

心の状態や思考を整理するのに、言語化や構造化のスキルが非常に重要だと感じている。

このブログを始めたのも、読書録をつけているのも、心の学びの定着化が目的であるが、言語化のトレーニングも目的の一つと考えている。

本書はそういった観点で選んだ一冊。

 

『抽象的なものは分かりにくい』というのが一般的な捉え方として定着しているが、物事を抽象化して考える能力というのは非常に重要である、と著者は訴えている。

 

人類が発展してきた背景には、この抽象化の能力により、言語や数を発明し、物事を構造化して捉え、理解し、再現できたことがあるとのこと。

 

個別事象毎に具体的に捉えて見ていては時間ばかりかかるだけでなく、応用が利かないが、

これら個別事象に関係性を見出し、構造化することで圧倒的に効率的に考える事ができる。

これが抽象化することの威力だとしている。

 

例え話が上手い人なんかも、この抽象化能力が高いということである。

複雑な物事をシンプルに捉え、全体像を理解することも抽象化能力であり、要約なんかもこれにあたる。

 

具体的思考に偏っている人は、『世の中そんなに単純では無い』と、一般化を嫌う傾向にあるということだが、まさに自分のことを言われているようで耳が痛い思いである。

 

経営層の言っていることがしっくりこない、上司の言動に一貫性を感じない、というのも、実は見ている抽象度のレベルが違っていることからきている可能性があり、要注意だなぁと振り返る機会になった。

 

一方で、抽象化が全てではなく、大事なことは、抽象化と具体化の往復であり、抽象化で物事の全体像を把握し、必要に応じて具体的に掘り下げることである。

抽象的な信念、理念から、具体的な行動に落とし込む計画も、まさにこの抽象化と具体化の往復であり、意識的に取り組んで身につけていく必要があると思った。

 

本書に書いてある通り、算数や国語の授業でなんとなく抽象化する訓練は教育に組み込まれてはいるものの、抽象化の概念を教えてもらえる授業はないため、その点で本書は考え方から見つめ直せる一冊です。

具体思考に偏っている自分は理解のため2回読みました。

抽象化技術のノウハウではなく、抽象化とは何なのかを考える本です。

 

【個人的書評】

・面白さ  :★★★☆☆

・為になる度:★★★★★

・濃さ、深さ:★★★★☆

・難しさ  :★★★★☆

・所要時間 :約4時間

・薦めたい人:伝える力、理解する力を高めるヒントを得たい人。物事を一般化することが苦手な(不快に感じる)人

 

【心に残しておきたいワード】

・哲学、理念等の抽象概念は、具体レベルの行動に統一感や方向性を与える役割を果たす。大きなビジョンを決定する(要するに何がしたいのか)のも抽象化能力。

・本質を捉えることは、表面事象から抽象度の高いメッセージを導き出すこと。

・具体、抽象の一人歩きは本末転倒を呼ぶ。具体と抽象の往復運動が重要。

 

【Vol.7】正しさよりも愛を

 

Vol.5,6の記事では、

まず何より自己受容、

自己受容により自然と他者受容ができてきて好循環が生まれる。

ということを書きました。

 

今回の記事では、自己受容・他者受容についてもう少し深掘りしていきたいと思います。

 

自己受容も他者受容も、ポイントは、『愛』です。

 

愛というワードを口にするのは少し気恥ずかしいですが、愛無しでは語れないので、敢えて強調していきます。

 

『愛』です。

 

で、愛とは何か。

 

チミ、愛の定義について簡潔に述べてみたまえ。

と言われて、答えられますでしょうか。

私は答えられませんでした。

 

愛については、

キリスト教アガペー(見返りを求めない無償の愛)の他、色々な宗教にまつわるそれぞれの愛の概念や解釈があり、

愛とは何かということについて哲学的、学問的な議論もされています。

一言で定義するのは難しい(これといった一つの正解はない)のですが、私の受講している心のセミナーでは、『関心を向けること』と言っていました。

 

愛は与えること、ともよく言われますが、人に対してその人が望む何かを与えるためには、その人に関心がないとできないので、そういう意味でもしっくりくるところがあります。

自分自身に対しても同じですね。

私自身、愛の定義について明確な持論を持っているわけではないので、この記事では『関心を向けること』を前提として書いていきます。

 

 

さて、自分や他者を受容するためには愛、すなわち関心を向けることがポイントというわけですが、それはなぜか。

 

例として自分の子供のことで考えてみます。

 

子供が全然部屋を片付けない、脱いだ服は床に散乱。宿題も全然やらずに夜になってから、終わらない、とピィピィ言い出す。

これに対してイライラして反射的に頭ごなしに叱ってしまうのが、自己・他者受容のできていない人の反応だと思います。(少なくとも私はそうでした。前よりマシですが今でも多少そういった反応をしてしまいます。)

この反応は一見、子供のためを思っての躾、愛の叱りとも取れそうですが、深掘りしていくと少し違った世界が見えてきます

 

まず一つ目に、

なぜイライラしてしまうのか。

それは、子供に対して『こうでなくてはならぬ、こうあってほしい』という自分自身の理想を押し付け、それが思い通りにいかないことが許せずにイライラしているものと考えられます。

子供の為だという大義名分を後付けで振りかざしているだけで、実は子供の気持ちや都合を無視して、自分のエゴで感情をぶつけてしまっており、本当に子供に関心(=愛)を持って接しているのではない、という危うさが見えてきます。

 

そして、二つ目に、

『子供が思い通りにならないことが許せない!』という感情は、どこから沸き起こるのか。

自分自身に目を向け、関心を持ち、深く見ていくと、何と無くその感情がどこから来たのかが見えてきます。

これは自分が過去に傷ついてきたこと(自分も同じ様に否定されながら厳しく躾けられてきた等)などに由来しているケースが殆どです。

自分が押し付けられてきたその傷が、無意識的に反応してしまっているということです。

怒りの下に悲しみがあるんですね。

 

 

今、どういう感情が湧いているのか、どこからその感情が湧いてくるのか、自分自身の感情を味わい、その感情を分解し、洞察することを繰り返していくと、少しずつ感情がコントロール(無理に抑えつけるのでなく)できるようになってきます

 

負の感情が湧いて、人にぶつけてしまう自分がダメなのではなく、一度その原因を理解して受け入れ、前に進むということだと思います。

 

これは、

自分に関心(=愛)を向けることで、自分の傷を見つけ、負の感情が沸き起こってしまう性格を受容することができる。

と言えるでしょう。

 

究極的にはその傷を清算することで、その感情自体が現れにくくなります。

(私は正直まだ完全にその境地まで辿り着いていませんが、妻を含め経験者は語っています。)

 

 

また、子供に対しても、なぜ何度言ってもできないのか、もっと関心を持ってみると、子供なりの都合や気持ち、得意不得意などの性質など、色々なことが見えてきます。

(そもそも自分がそうだったように、小学生の子供が、色々な刺激がある環境で、宿題に片付けに、スマートにマルチタスクをこなせるはずもないのですが・・・)

そうなれば、反射的に頭ごなしに叱る前に、一度冷静に受け入れた上で、穏やかに諭せるようにもなります。

 

このように、自分にも子供(他人)にも関心を持ち、『洞察』を深めることで、受容できる器が大きくなります

自分の理想、正義を振りかざす前に、『愛』を向けることが重要ということです。

 

『正しさよりも愛を』

 

これはセミナーの先生からの言葉ですが(あとで調べてみると、キリストの教えでもあるようです)、個人的に非常に胸に刺さっていて、正論や自分の思う正しさを振りかざして自分や他人を傷つけないように、常に思い出すようにしています。

 

 

【読書録】限りある時間の使い方 オリバー・バークマン

 

 

年末の休暇中、とある書店に平積みされており、手にとった1冊。

タイトルからは、生産性やタイムマネジメントに関する内容を想像するが、よくあるノウハウ的なものではなく、『時間について』、そしてその時間の中での『生き方について』に言及した内容となっている。

 

イントロから、『生産性とは罠なのだ』など、非常にキャッチーで痛快な言葉が並べられている。

タイムマネジメントのテクニックやツール、ライフハックなどでいくら生産性を上げても、やることはさらに増え、加速化される生活にさらにストレスが高まっていく。

インターネットやSNSはやりたいことの選択肢をどんどん増やし、一度きりの短い人生でできる限りそれらを体験しないと満足感が得られない。

時間を有効に使うためのこれらのツールが、もっとやらねばという切迫感を悪化させている。

自称『生産性オタク』だった著者が、こういった状況に気づき、壊れていく社会に警鐘を鳴らしている。

 

時間を支配しようとすると、それが逆に時間に苦しめられる原因となる。

重要なのは、

『時間、選択肢、自分の能力の限界を受け入れ、本当に大事なことを主体的に選択し、それ以外を捨てること。失う不安よりも、捨てる喜びを手に入れることであるー。』と著者は言っている。

 

タイムマネジメントのテクニックでも、『やらないことを決める』ということは度々目にするが、この本でのポイントとしては、その態度、心の持ち方についてである。

その辺りについて痺れるフレーズでしたためられている。

内容もさることながら、よくこんなキャッチーなフレーズを創造できるものだと感嘆。

翻訳前の表現のニュアンスはわからないが、翻訳者の言語化力も大きいのだろう。

 

今を生きる、自分を生きるということを考えさせられる一冊です。

 

【個人的書評】

・面白さ  :★★★★★

・為になる度:★★★★☆

・濃さ、深さ:★★★★☆

・難しさ  :★★★☆☆

・所要時間 :約5時間

・薦めたい人:忙しく、生産性を追求して日々の体験が色褪せてしまっている人。

 

【心に残しておきたいワード】

・『時間が余ったらやろうと思っても、時間は絶対余らない。大事なことは今やらないとできない。』

・『意味のある体験をするには、その体験に注意を向けなくてはならない。注意を向けていないことは、起こっていないのと同じ』

・「いつか何かをしたら」という未来志向態度は、現在を永遠に先延ばしにする考え方である。人生には「今」しか存在しない。

 

【読書録】人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索 矢作 直樹

 

 

受講している心のセミナーの推薦図書として紹介されており、半年ほど前に読んだ一冊。

著者が医療の最前線で仕事をする中で、科学では説明ができない数多くの体験をし、生命の神秘、摂理への感性、思慮を深めていく過程が記されている。

『科学が解明できる真理は絶対的なものでなく、その時代の科学技術で得られたその時点での真理であり、時代の変遷とともに変わり得るものである』という言葉は、確かにそうだと頭を打たれた感覚であった。

自分も理系の大学を出て、技術者として仕事をしてきた中で、自然科学への信仰が凝り固まり、大いなる力、摂理への敬意が薄まり、科学で説明できないことを盲目的に疑うようになっていたように思う。


日本人の教育、宗教感的に、幼い頃から大いなる力の存在を信じるというのは自然なことで、自分も潜在的にはそういったものを信じている自覚はあるが、意識的に科学的でないことを信じないようにしているふしがあるなぁと思った。

悪い行い、良い行いは神が見ており、自分に返ってくる。科学的な根拠はないが、こういった道徳心というのは大切で、科学を盲信することはある種の傲慢さがあり、良く生きる上での危うさを持っている気がした。


人の肉体は死により消滅してしまうが、精神世界で生き続けることを信じることで、本人も残された人の心も救われる。そういう意味でもスピリチュアリズムを受け入れることは何も悪いことではなく、受け入れることで広がる世界がある。

スピリチュアリズムを変に解釈し、盲信し、それを悪用する人がいることで、敬遠しがちになってしまうが、摂理を受け入れ、従い、良心を忘れずにあるがままに生きるという基本的なところに立ち返る上では、スピリチュアリズムは無くてはならない思想なのかなと思った。


大いなる力の下、生を授かり、めぐり逢い、今を生きていることに感謝し、自分の良心に従って自然に生きていこうと思える本。

 

【個人的書評】

・面白さ  :★★★★★

・為になる度:★★★★★

・濃さ、深さ:★★★★☆

・難しさ  :★★★★☆

・所要時間 :約4時間

・薦めたい人:理系の人(特に自然科学に万能感を抱いている人)、日々生きていることの感謝を忘れがちな人

 

【心に残しておきたいワード】

・『真理は時代の変遷と共に変わり得るもの』

・『人類の歴史とは、摂理が創造した宇宙の森羅万象の謎を少しずつ解き明かしながら自分探しをする旅のようなもの』

・『足るを知る』

・『今自分にできること、ささやかな利他行をやっていくという当たり前の生き方こそが人生の最大の目的』

 

 

 

【読書録】現象が一変する「量子力学的」パラレルワールドの法則 村松 大輔

 

 

強く意図したことが現実化するという根拠を量子力学の観点から説明した一冊。

物質の最小単位である素粒子は、観測することによってそこにあることが確定するという性質を基に、『人の体を極限まで分解すると素粒子である』ということ、また、『意識も素粒子であるという解釈』から、在りたい姿を強く意図(観測)することで、それを具現化できるという論法。

量子力学多世界解釈によると、世界は無数のパラレルワールドに分岐しており、意図して観測することで、別の世界線に移ることができるらしい。

例えば、ネガティブな思考でネガティブな未来を観測すればそれが現実となるし、逆にポジティブに思考して状況が改善する未来を意図的に観測することで、その世界線を選ぶことができるとのことである。

 

魂、霊的なもの、パワースポット、生まれ変わり、など、スピリチュアル的な現象も量子力学的観点から見れば物理現象として有り得るという考えは新鮮で興味深い内容だった。

ただ、量子力学を聞き齧り程度にしか知らない自分からすれば、論法的には理解できるものの、結局スピリチュアルな世界だなぁという感想。

(大学の講義受けとけばよかったなぁ)

 

この仮説が本当かどうかは置いといて、著者の人格、考え自体はとても素晴らしい。

自己否定スパイラルから脱し、明るい未来を見ていくため、より善く生きるための思考方法として取り入れてみるのは面白いと思った。

 

気軽に読めるライトな自己啓発本です。

 

【個人的書評】

・面白さ  :★★★★☆

・為になる度:★★★☆☆

・濃さ、深さ:★★★☆☆

・難しさ  :★★☆☆☆

・所要時間 :約2時間

・薦めたい人:自己否定癖が強い人、生き辛さを感じている人、前向きになりたい人

 

【心に残しておきたいワード】

・意図は物理量。意図が強いほど現象化しやすくなる。

・ありがとうを観測することで、ありがとうが広がっていく

 

 

【Vol.6】自己否定から自己受容への意識転換


前回記事からの続き、自己受容のコツについてです。

 


このやり方ならすぐに劇的な変化を遂げられる、

 


なんてものは存在しません。

 


自己否定癖がついてて、なかなか自己受容がうまくできない私のような人間が変わるには、とにかく自己受容の練習を繰り返すことです。

無理やり自己否定思考を矯正し、自己受容の意識を刷り込んでいくしかありません。

 


セミナーの中での最初の課題は、

1日3つ、自分の好きなところを挙げる

というものでした。

 


で、実際やってみるのですが、これがなかなか出てこないんです。

 


無理やり絞り出しても、出てくるのは、上手くできたことに対して褒めること(成果承認)ばかり。

 


成果承認でも、褒めていることには変わりないのですが、じゃあもし成果を出せなかったらダメなのか、ということになってしまいます。

自己肯定しているつもりが、自己否定と裏表で共存してしまっているんですね。

 


これでは自己否定癖はなかなか矯正できません。

 


大事なポイントは、自己肯定でなく、自己受容だということを意識することです。

 


どういうことかというと、できたことを褒めるのではなく、できなかった自分も褒める。

つまり、成果承認の前に、『存在承認』をするということです。

 


×『思ったようにできなかった、努力が足りなかった』

⚪︎『思ったようにいかなかったけど、次頑張ろうと思えた自分が好き』

 


×『また休日を無駄にダラダラ過ごしてしまった。』

⚪︎『日々頑張ってる自分を労わって、エネルギーをチャージできた。充実のダラダラであった。』

 


といった感じでしょうか。

 


今までネガティブに考えていたことを、視点を変えてポジティブに見る

これは目から鱗でした。

 


そして、頭で考えるだけでなく、書き出すということもポイントです。

脳内のイメージを言語化し、アウトプットすることで、意識の中に定着し、それを繰り返し習慣にすることで段々と無意識的にできるようになります

 


今まで無意識的に自分を責めていたことを逆に転換し、無意識的に褒めるという発想です。

 


自己受容がうまくできない人は、

厳しい教育方針の環境で、褒められることよりも叱られることの方が圧倒的に多かった人

がそうなる傾向になりやすいようです。

 


おそらくその理由は、

親や周囲から押し付けられてきた価値観、理想像が潜在意識に刷り込まれ、その理想を体現できない自分を無意識的に責めるというパターンが出来上がってしまっている

ということなのでしょう。

 


これを変えるには、今まで否定してきた分を取り返すように、自分を褒めて刷り込んでいくしかないようです。

 


私も日々実践中ですが、これができるようになってくると、自分を責めて落ち込むことも少なくなりますし、凹んでもニュートラルに戻ってきやすくなります。

 


ということで、コツコツと自己承認の意識を定着させて、前を向いていける基礎を作っていきましょう。

【Vol.5】自己受容の意識がもたらす好循環

 

前回の記事で、

自分を生きるために『ありのままの自分を受容した上で、しっかり基礎(価値観、信念)を作り、目指す方向(志)に意識を向けていくことが重要』

と書きました。

 

今回の記事は、ここで最も基本的な部分、自分を受容するということについて書いてみます。

 

私もそうですが、自己受容が出来ていない人はかなり多いと思います。

 

例えば、

『目標を達成できなかった。自分に努力が足りなかったからだ!』

『また休みの日をダラダラと無駄に過ごしてしまった。自分はなんて意思が弱いんだ。』

などと、いつも自分を責める

特に成果が求められるビジネスマン(ウーマン)はこういう傾向が多いのではないでしょうか。

 

でも実は、

『それなりのアウトプットはしているのに、高すぎる目標を設定して挫折感を味わっているだけ』

だったり、

『キャパオーバーの毎日に身も心も疲弊し、休日に行動する気力が無くなってしまっているだけ』

で、客観的に見ると自分を責めるようなことではなかったりすることも多いと思います。

 

ちなみに、自己受容度が低いと、自分の精神衛生に悪影響を与えるだけでなく、他者に対する受容度も低くなります

これは、自分に対して許せない部分を他人にも投影して見てしまうからなのだと思います。

良いところもあるのに、悪いところばかりに目がいってしまい、イライラする

周りの空気も悪くなる。

 

特に子供達に対して、子供達のあるがままを受容せず、こう在るべきという理想を押し付け、頭ごなしに叱る、否定するということをやってきてしまいました。

 

そして、また怒りすぎてしまったと後悔、自己嫌悪に陥る。

 

完全に悪循環です。

 

これは私自身の経験であり、心の学びを始めて得られた大きな気付きでした。

 

当然、子供達からの目は

『パパ怖い』

『パパ嫌い』

 

ですよね。

 

この『パパ怖い現象』は会社の中でも同じことが起こり得ます。

他者を受容出来ない組織、特にリーダーがその傾向にあると、怒られないために行動するマインドが蔓延します。

 

これを放っておけば、自分も、周りも、そして子供達も、『やりたい』よりも『やらなきゃ』が原動力の、『自分生きていない人間』に仕上がっていくことでしょう

 

くわばらくわばら。

 

 

ということで、何よりもまずは自己受容です。

 

これは本当に御利益があります。

 

自己受容ができてくると、自然と他者受容もできてきて、好循環が生まれます

 

実際、我が家での子供たちの表情も明るくなりました。

 

子供達の、家族の中での好きランキングも

 1位 ママ

 2位 姉(妹)

 3位 犬

 4位 パパ

だったのが、今では2位に浮上しました。笑

家庭でのストレスが激減し、だいぶ心が楽になったと感じています。

これは妻も子供達も感じていると思います。

 

 

というわけで、自分を生きるためにはまず自己受容がベースにないといけません

 

ただ、自己否定癖がこべりついていると、なかなか自己受容ってうまくできないんですよね。

 

私もある程度できるようになるまで結構時間がかかりましたが、これはもう、思い込み(意識)の力による荒治療とその習慣化だと思います。

 

そのあたりのコツを次の記事で書いてみようと思います。